俺は俺の敗戦処理をしなければならない

 人間関係の悩みこそ、悩みの中の悩みである。人が何かに迷っている。将来のこと、現在のこと、過去のこと。だが、それは結局のところ、彼と彼と関わる人々との間にある関係自体に悩んでいるのである。彼は自分自身について悩んでいると嘆く。事実、彼は彼の犯した罪や過ちについて悩んでいる。彼の現在は、過去の彼の行為や心理に関わっている。あの瞬間に彼の現在の意識が向けられ、彼は、あの時の自分と再会する。そして、その時もやはりあの時と同じように、それをただ黙って受け入れる。流れに身を任せる(小綺麗な言葉だ)という、選択とも決断ともいえない、その場凌ぎ、時間切れ、持ち越し、先延ばし、真の愚かさというものがあるとすれば、まさにそれであるが、もう絶対に後悔する、やってはいけない、超えてはならない一線があり、取り返しのつかなくなる、間に合わなくなる瞬間を、傍観してしまう、その魂の不在感。身体感覚の喪失。焦燥と彷徨と孤絶の感覚。だがそれは確かに、その瞬間、何もかもが終ってしまったということ、諦めと覚悟の瞬間でもあって、絶対的な自由な瞬間でもあったのだ。絶望とは、文字通り、望みが絶たれるということだ。絶望自体に意味は無い。そこには、ただ抽象的な、絶対的な感覚だけがある。全ての望みが立ち消えた後、体が軽くなる。誰からも、何事も期待しない。これから何が起ころうとも、何が起こらなかろうとも、そこに意味や価値を見いだすことは無い。それは、倫理意識からの解放だった。あの境地が、ニーチェの言う「善悪の彼岸」だったのだろうか。あの孤絶。あの諦め。あの感受性。単独者。

 

 だが、果たして、あのまま単独者を生きていたら、俺は一体どうなっていたのだろうか。結局、ずぶずぶと、だらしなく、べったりと、抜け目なく、生きてしまっている現在を、あの瞬間の彼は、どう思うだろうか。私にとって、あの日が、8月15日なのだ。あの日が、敗戦の日なのだ。日本人は戦後処理を誤ったというが、私もまた、私の人生の戦後処理を、間違えるのだろうか。三島由紀夫は、戦後日本人のその振る舞いを、「鼻をつまみながら」見ていたと告白して、絶望にエネルギーを使っていればどうにかなっていたのかもしれないと嘆いて、自害した。或いは、西部邁が自害したのも、同意するしないに関わらず、共感できる話だ。自殺者の心理に共感し、安穏に生き延びる忘恩の輩には一片の同情も寄せない、というのは、それ自体筋道は通っている。

 

 俺は俺の敗戦処理をしなければならない。俺は、あの日、敗けたのだ。俺は、修士論文の提出期限の日が来るたびに、敗戦の悔しさを思い出す。ということは、俺にとって、修士論文は戦争だったのだ。俺自身との戦争だった。俺は、二度、己に負けた。教職を辞した日、2017年12月31日とは比べ物にならない。教職は、己の問題ではなく、適応の問題に過ぎなかった。

 

 2017年の2月のカレンダーを見ると、10日が金曜日になっている。たしか、その日の12時が提出期限だったはずだ。翌週の月曜日だったかもしれない。だが、今は日付の確定は問題ではない。2月の10日から15日頃に、俺は、2017年と2018年に、二度、敗けた。今日が、2021年の12月なので、もうすぐ敗戦から4年目を迎えそうだ。俺は、二度目の敗戦の日、2018年の2月13日の正午を、決して忘れない。俺は、あの日、敗けたのだ。そして、それは、必ずしも、生まれ変わったというような、再誕の日ではない。敗戦の日は、必ずしも、悦ばしい復活の日とは限らない。後悔の日である。懺悔の日である。屈辱の日である。

 

 俺は、あの日から確実に変わった。あの日を、空白の一日とすれば、その翌日から、今日まで数えれば、即ち、1391日である。その落とし前をつけるまで、来年の2月13日に、この落とし前をつける。俺の戦後処理を、その日に完遂する。